「神の道しるべ!神とこの世の秘密の物語!ザイム夢我無罪」だと、カテゴリーで最初から続けて読めます。
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すこし、話し忘れていた事を書かせてもらいますが、意味と言う言葉ですが、この言葉は、三つのミから出来た言葉であると考えます。
食べられる実、と、食べる身と、その二つが解け合って生まれる味(ミ)、つまり、
「あじ」あ字、の、三つのミにより最終得た、味(あじ・ミ)が、本当の意味であり、哲学用語で言えば、見る側の主体と見られる側の客体と、そこに生まれる関係である、相互理解が、味であり、その関係のあり方次第で、美味しくもなり、まずくもなる、と考えますが、それが、あ字である意味もあると考えます。
ところで、今、日本は、気付かれないかも知れませんが、非常な危機をむかえており、現在2019年8月でありますが、ノストラダムスの大予言「1999年第7の月、天より大王が降りてくる。」と言う予言(預言ではない)が、外れたかに見えましたが、私は、彼の予言が、後で当たっていた事例が多い事を聞いていたので、誰かの誕生を意味し30才位に成った頃から、頭角を表してくるのではないかと、考えておりましたが、大王が日本で成人を迎える今年7月に入り、絶望的な日本の現状を、ユーチューブの2本の動画により知り、後で、大王の成人に気付きましたが、私の人生ではるか昔、中矢伸一著「艮、とどめの戦」
(ウシトラ、とどめのいくさ)などの本で、紹介されていた、ひふみ神示と言う当時、確認すると1万5千円だったのですが、注文して買いましたが、今の感覚で言うと、高くても2~3000円くらいだと思ったのが、4~5万円したと思うほど高くて、断りたかったのですが、注文購入でもあり、それほど高い本を、その店で裁けないだろうと、こらえて、買ったのですが、どれだけ読んだか忘れましたが、大事に持っていました。そこで、絶望的になって手にとったのですが、ひふみ神示で、ひふみ神示は、元の元の元の神が、岡本天明という方に、数字と記号だけで、自動書記の様に書かせた日月神示という神示を岡本天明様御自身が、解読なされ、神示に従って、ひふみ神示と言う名で書かれたもので、本来なら、現著作権者の承諾を得て行わなければならない所を、神示に書かれた内容に従い、この神示に縁ある者は、釈迦、キリストと同じ教祖になれる身魂を授けある。という一文に、著作権者の方が小さい器であるはずないという思いと、神示写す御用結構と書かれてある事から、
ひふみ神示 上巻、岡本天明著(ザイム無我無罪)
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ひふみ神示下巻庶民の書岡本天明著(ザイム無我無罪)
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に自分のペースで写している最中でありますが、それは、現在、中古でも、高額で、一般の方が、読むべき書物であるのに、読めないのは、この危機的状況に際して、危機感を感じることと、障害年金と、生活保護の皆さんの税金によって暮らしている自分に課せられた役割と、感じる為であります。
しかし、ここまでを書いている現在2019/8/16現在、この本を買った太陽出版の、注文、お問い合わせページに事情を話し、そのアドレスを載せることで許可を得る様、申し出たが、ひふみ神示に関する、いわくありげなサイトで、著作権を岡本天明様から引き継いだ奥さんに、著作権料が全く支払われなかった事や、改ざんがあったり、関与しているものが、不審な死をとげた事を訴える、サイトに出くわし、そのサイトは、
日月神示の総括「云っておかねばならぬ事がある!」
https://ameblo.jp/sonney/entry-11470825433.html
であり、目下、思案中であるが、私が買った本は、私と、縁、又は、因縁あっての事と受け止め、引き続き載せていくつもりではある。それはさておき、私を絶望的にさせた、次の2本の動画(ユーチューブ)を見ると、アメリカを敵対視したり、あるいは、そんなこと、あるはずない。と片付けるかも知れないが、まず、アメリカを敵対視するのは、悪の大将の思うつぼで、悪の大将は、戦争に持ち込もうと言うのが、一番の狙いであると思われ、次に無視することは、エチオピアの犠牲を無駄にすることであり、その因果は、自分の身に降りかかる覚悟がいることを述べておく。その動画は、
日本に回帰しよう!
https://youtu.be/jFcA-Eae8so
知らぬが仏
https://youtu.be/vp4FuaqxOIU
である。
その私が、頼ったひふみ神示には、悪抱き参らせて、世が、弥栄えるなどの記述があり、また、罪を憎んで人を憎まずは、悪。罪も憎まんのが、本当の善と
言う記述もある。
ただし、神の言葉と言えども審神者(サニワとよみ、まことの神から出たモノか、邪霊から出たモノか判断すること)せよ!とあり、昔は、サニワする家系などがあり行っていたが、我々には、確かな審神者(サニワ)との関わりがなく、最終的には、自分で判断せねばならないふしもある。その為に、身魂を磨く事が、第一であり、悪抱き参らせて、とはあるが、みぞおちに留めて勝ちであり、悪を好き勝手にさせることではなく、また、御神体である国体と人民を守る事も大事な役である。世界を救うには、日本が、改心しなければならない事も、大きな峠である。
善は、全に通じ、前にも通じる。悪は、開くに通じ、世を開ける役の意味も少なからずある。しかし、飽きる、の飽く(あく)にも通じ、前(ぜん)は、前へ、前へと進むが、悪は、やがて、その欲望の虚しさに、心に穴が空き、飽きて、飽く為、続かない。
楽は、ラ九を表し、あ列、第9の言葉が「ら」であり、ハ長調ラは、イ音であり、マイナスイオンの時、精気(性器)が宿るが、プラスイオンの時、精気(性器」を失う。
又、らく、はraku及びlakuであり、R(あーる)つまり、有る、L(える)つまり、得る、がなければ、あく、となり、悪となる。そして、RAKUのラであるイ音(イオン)が、マイナスに働くと、マイナスイオンとして良いア九になり、岩戸を開ける「開く」になり、プラスに成ると、悪いア九になり「悪」になる。
そして、R(有る)L(得る)により有りし精気(性器)が、世九(良く)用いられると、悪は、マイナスに働き、マイ(私の)成す(マイナス)は、良い働きとなる。
逆に、精気(性器)が世苦(欲)に走ると、世を苦しめ、世が乱れ、悪は、プラスに働き、イオンは、プラスイオンとなりストレスとなるが、イオンが、プラスに働くとは、ア九のラであるイオンの、音意である、意味を表す言葉の音である言霊が、プラスに働くのプは、負けるを意味する負(ふ)が、丸であるのがプの意味であり、つまり悪が、負けるのがプ。このプで織りなすラ(羅)がス、つまり、素(す)となり、プに成っていない事を表す為、ア九が悪の意音(イオン)の意味を放っているためである。
つまり、ア九としてのラ、イ音がマイナスに働きマイナスイオンとして良いように働くか、プラスに働きプラスイオンとして悪いように働くかによって、ア九が悪に成るか、岩戸をひらく、開く(あく)になるか、そのカギが、言霊にあり、今まで、物質社会を構成してきた言霊、体主霊従(たいしゅれいじゅう)の「あいうえお」から、霊主体従(れいしゅたいじゅう)の「あおうえい」の言霊に変わる事ではないかと考えるよう導かれた感じを受けます。私は、昔、「あいうえお」は、本当の語順ではないと習った事を思い出し、調べると、「あおうえい」が、宇宙の生成の語順で、物質社会は、「あいうえお」の為に、発達した、体主霊従である逆転宇宙の言霊であるのに対し、「あおうえい」は、精神社会を形成する、霊主体従の言霊で、この言霊を唱える修行により、病気、も治せる力が付くらしく、この言葉の普及は、かなり進んでいるようで、歌手の相川七瀬さんの「ヒカリノミ」にも、使用されている事に、驚きました。なお、実る欲は世九(世の九)でであり、良くなる実であるが、悪く働く欲は世苦であり、(世を苦しめる苦)欲である。
余談ではありますが、天使の名の最後にエルが、多いのは、今述べた、精気(性器)を得ると言う意味から、エルが多く、堕天使とされているルシファーは、最初のルは、留であり留まる意味を持つ。例えば、やる、する、
投げる、蹴るの様に、その意思に留まる事を意味する。蹴るは、ケッと反抗する意思
に留まる事から来ている。
シは、音階の頂点である神を意味するが、ルシで神に留まっていたものが、ファである息、おなら、を意味する、ファ(はぁー)であり、おならを意味するへ音であり、人間を表す第6の音へ、墜落したと言う意味から、ルシファー(堕天使)の意味がついたと思われるが、実際は、堕天使ではなく、神の座から、あえて、人間へと舞い降りたと私は、かんがえます。
それが、天下った古代日本に舞い降りた神々のお名前であり、意味合い的にはキリストもその現れの一つなのです。
ところで、まだ、天皇が、人となり間もない頃、「あおうえい」が「あいうえお」に変わり、その為、んを締めくくる音と考えると、「あいうえおん」は、愛飢え音、でもありましたが、「わいうえをん」をYES(イエス)を上に持ってきて、「Y上を!うん」によりて、「あいうえお」は、「愛上音」となりましたが、体主霊従(たいしゅれいじゅう」で世が乱れ、この度、世の建て替え、建て直し、大洗濯が実行される模様で、先立って、日月神示(ひふみ神示)や「あおうえい」の言霊流布が始まり、「わいうえを」(Y上を)は「わをうえい」(和を上意)へと改まって行き、宇宙生成の本来の世界へと変わりつつあります。
又、光と闇について、以下のように考察した。
光(ひかり)は、否可理(ひかり)であり、不可能と否定する事を可能にする、理(り)
と読み、法則である理(ことわり)。これに対し闇には、病み、止みに通じ、又、八つのミである、やミが、あり、実・身・味の基本的、意味のミと、巳、観、魅・未・満の五つのミであり、他にもミは、考えられますが、巳(ミであり、ヘビである巳(ミ)は、人の事でもありますが、己(おのれ)もミであり、へびは、サタンであり、日本を意味すると述べたが、へびが、「イブに死ぬ事はなく、神の様に目が開け神のように成り、善悪を知るものと成る事を神は知っているのです。」と言ってそそのかした事になっております。ですが、自由を与えて起きながら、末代まで祟る様な、危険な木を、何の防備もせず、ただ、言いつけを守るか、守らないかを見極める為だけに、園の中央に、置いたと、愛を自称する神が、何の計画もなく置いたとは、私には、信じられません。これらの結末も読めない程、神が、愚かであるとは、私は、信じたくありません。本能の様に生きる人である彼らと、その子孫である人間に、神々の仲間入りをされる用意が、あって成されたと信じます。現にここに生きる人々は、神人となったことが、既にあることを、知らないか、忘れているだけと、私は、考えます。無限の時は、(ここで言う時とは、タイムトラベルで行き来出来る、物理的時空ではなく、変化という一方的に進むだけのときの意味ですが、)この無限の時は、未来にも無限ですが、過去にも無限であり、確かに、一から出直していると言う意味では、達成されておりませんが、始まる前には達成されている事であり、神もその前を忘れているなら別ですが、人が必ず、神の友に成ることを知っておられての、計画だったと信じます。
ところで、聖書の第一日目に、神は、天と地を創造成されますが、天の上の水と天のしたの水に分けられたとされています。この神は、既に、シ音である死も統べられていたと考えますが、今不意に思い出したのが、ユーチューブで「宇宙人インタビュー」で検索すると出て来る、第2次世界大戦頃に現れた、宇宙人のインタビューの極秘映像の中で、宇宙人が、死は、人間が創ったものだ、と言う、話ですが、それは、もしかしたら、既に、死のない世界であるにも関わらず、過去を学ぶ為のプログラムとして、この世が実行されているのでは、と言う推測です。その事を後押しする様に、物理学者たちは、この世が、プログラムの2次元的、仮想空間だ!と言う見解が、有力視されていることです。
ですが、たとえ、この世が、プログラムの世界であるにせよ、今と言う時が、現実であり、エチオピアが、枯れ葉剤と遺伝子組み換え食品の犠牲となり、奇形と、ガンで、ゾンビの国の様に成っていると言う情報を無視することは、人間として、間違った選択であり、プログラムに仕組まれた仕組みによって、勉強させられる羽目に陥る可能性が高いと言うことです。
ひふみ神示にも、今中ぞ。という言葉が出てきますが、現在が現実であり、ゲームであったにせよ、今を無視することは、ゲームクリアー出来ず、プログラムから抜け出せないどころか、バッドストーリーが、続く可能性を意味し、ある意味、地獄状態に陥る事にもなりかねないのです。
いずれにせよ、日本に及ぶ。苦難は、多かれ少なかれ、訪れる様で、日本の、及び、日本人の改心が、求められているようですが、身魂の掃除をひふみ神示では、さかんに訴えておりますが、身魂の掃除は、口、心、行、が揃って、初めて達成と、言われるものであり、部屋の掃除もろくに出来ていない、私は、厳しい指摘であると感じておりますが、まずは、形式から入って行くだけでも効果があり、口の礼儀を正し、地から取れた物は、まず、神に捧げてから頂くと言う事から、始める事で、心も、清くなっていくと、私は、解釈し、本来なれば、神棚なども、付けた方が良いのでしょうが、捧げる神は、最初は、自身の信じる神で良いのですが、最終的には、総括している、大日月大神(おおひつきたいしん)に捧げる事で、全ての神に通ずると、されております。
この時に捧げる言葉として、「かむながらたまちはへ(え)ませ」と言う祝詞(のりと)が、もっとも適していると思われ、その意味は、「神様のみ心のままに霊の善くなるようお救いください」と言う意味で、大本教の祝詞でもありますが、その後に、大日月大神様、と続ける事から、私は、初めており、「あおうえい」の修行も、とにかく、はじめは、形式で、心の中でも良いので、繰り返し唱える時間をとったり、合間に唱えるだけでも良いと考えております。
その、ひふみ神示によると、最終的には、自分を拝む事が大事であり、神の中に溶け入る事が大事で、神を拝んでいる内は、まだまだぢや。とある程であり、もはや宗教はなくなり、道となると暗示しています。
話は、音楽に戻りますが、「ハニホヘトイロハ」が、英語では、「CDEFGABC」なのですが、初めがCであるのは、おそらく、クリスチャンのCであり、ト音にあたるのが、GODに通じる、Gであることは、偶然とは、思えません。又、ドイツであったか、BをHとし、ハァーと発音しますが、これは、昔、6音階10音だった時に次のCでありドである日本語のハ音だった事を今に伝える為の秘密ではないかと想像します。又、6音階10音だった時、外国においては、ABCDEFでFがTOPであり、一番であり、FIRSTの頭文字がFなのは、その為と考えます。
なお、ここまで、書いてドレミファソラシドの語源を調べたところ、現実にも、昔は、6音階だった事が、判明しました。
ところで、天皇は、天のみかど、と言う意味が、ございますが、単調である、ラシドレミファソ、の音名は、イロハニホヘト、でありますが、イ音をラシドレミファソ、と呼ぶ代わりに、ドレミファソラシ、と呼ぶと考えた場合、ミは、ハ音にあたり、始まりの角を意味し、又、ハ長調のイ音をドとするとミはロ音で、ハ長調シにあたり、終わりの角を意味します。それゆえ、天のミ角の言葉になったと、考えます。
又、イ単調の「イロハニホヘト」を「ドレミファソラシ」と呼んだ場合、ミは、ハ音であり、英語で、Cであり、生命の全てに含まれる炭素の原子記号になっており、Cは、シーであり、シ音の意(意味)が、隠されていると思われ、又、古来、日本は、稲穂(いなほ)の国であり、ホ(穂)音が、ミ(実)の音であることからも、この物語を後押しする裏付けになると考えます。単調における、ミは、あえて、「ラシドレミファソ」を「ハニホヘトイロ」と呼んだ場合にミは、ト音にあたり、ハ長調では、ト音はソ(祖)であり、(イ)単調の終わりであるソで炭素(短ソ)の意味を含むと考え、天界においては、単調もCから始まったと考えます。
(イ)単調の「イロハニホヘト」「ABCDEFG」を、あえて、「ドレミファソラシ」にした場合、ソはホ(穂)音であり、ハ長調のソ(祖)は、ト音、G(GODのG)にあたり、GODの身(ミ)が穂(ホ)である事をうかがわせ。それを、噛む、噛み(神)により、命の素(もと)に成ったと考えられ、葉に穂へ十色(はにほへといろ)の、葉に穂(はにほ)は、又、歯に穂とも考えられ、穂を噛む事から、色とりどりの森羅万象の世界の礎(いしずえ)となったと考え、それを、十色で表したと考えます。
世界の、歴史は、聖書預言(予言ではなく、神から預かった言葉)通りに、進み、ユダヤ人の興隆と悲劇のその一つでありますが、ユダヤ人の重要視する言葉に、シオンと言う言葉があります。元々、彼らの聖地エルサレムにあった、地方の名ですが、シオンの声を待ち望むユダヤ人と言うのを聞いた気がしますが、シオンは、シ音であり、子音(しおん)でもありますが、音の子である神が、子音であり、シ音を持ち合わせていた事から、来ていると、解釈します。
死は、普通、良い印象を与えませんが、日本語には、しがない人生などと言う言葉があり、意味は違いますが、シと言う音が、悪い意味でもなく、死も、それ自体が悪いものでは、ないのです。話は、、まだまだ続きますが、とりあえず、
神の国の出来事と地上世界の秘密(音楽に隠された秘密)
(パート2)