1999年第7の月、恐怖の大王が降りてくる!と言う、あのノストラダムスの大予言から、丁度20年たった、今年7月、日本では、成人を向かえたことになる。丁度その月から、絶望的な日本の状況と世界の危機を訴える2本の動画に絶望的になり、日本は終わりだ!と言う広告等も目にする機会が増え、頼ったのが、ひふみ神示だったが、それ以前に浮かんでいた構想を完成すべく、音楽に隠された、この世の秘密と神の世界について、考察しいて行こうと決め、作曲を離れ着手している。
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神の選民としてアブラハムを祖とするユダヤ人が、選ばれ、イスラエルと名乗る様に言われます。
アブラハムの名は、元々アブラムでした。アブラは、アの部羅であり、あ列達の神の織りなす世界で、それが、無であるのは、良くなく、ハムにしたのは、あ列のハを無にする意味が、あったと思われます。ハは、葉なら問題ないのですが、神の歯を意味し、噛む噛み(神)の意味があったので、人々を噛み(神)の歯から守る意味でハムと成ったと考えます。
ユダヤのユは、あ列の第8番目の音で、や行は、基本、や、ゆ、よ。からなり、やゆよは、実は、子音と母音の組み合わせではなく、いぁ、いぅ、いぉ。で、間の、「い」と「え」は、ゆぃ、ゆぇ。であり、全て母音の組み合わせなのです。
つまり、勝手な想像ですが、嫌、言い(ゆい)、言う(ゆう)?、言え(ゆえ)、言おう(ゆおう)!が、や行の意味では、ないかと思うのですが、その中の、ユは、言う、の意味があり、言霊である祖が織りなす、言う(イ有の世界であり)イ音、第10番目の魂をもっており、10(テン)の世界であり、キリスト・イエスを超えた世界に属する血を受け継いでいたと考えています。その為、イエスを認めず、迫害の歴史をたどりますが、そのお陰で、優秀な民族となり、金融界を牛耳るロスチャイルド氏も、純血のユダヤ人です。日ユ同祖をしめすと思われる、一節が、ひふみ神示にも、見られます。日ユと書き、読みをシユとし、主を暗示させる表記が見受けられます。ダは、ヘビを表す陀で、ヤは、あ列8番目のやである事と共に、YHWHのY、ヤハウェ-の民であるヤの意味を持つと考えます。
イエスの唱える、死のない天国と、死のある世界について、思いを巡らすとき、釈迦の入滅前の言葉に思いをはせます。釈迦は、一番弟子に、人は、生きようと思えば、いくらでも生きられるのだと!と言いました。しかし、弟子は、本気にしなかったのか、反応しませんでした。釈迦は、悪魔で有るマーラーに魅入られたと思い、実は、それは、私が、涅槃(ねはん)に入る機会を得たと、悟り、その死を受け入れ、それにより、諸行無常の説法が生まれ、完成したのだと解釈します。我々は、短い人生ゆえか、死を悪の様に考えます。しかし、無限の時の中に、あって、この世は、その生のひとつでしかなく、無限を渡り歩く魂が、我々の正体であり、言わば人生は、その内の一日に過ぎないと考えます。我々が、死を迎える時は、命と言う摂理が、最も良いと判断した時であり、確かに無念や、悔いの為、浮遊霊の様に漂える魂の存在もあるかとは、思いますが、それも、又、経験であり、我々の財産は、本当には、経験だけなのだとかんがえます。
ところで、イスラエルとイスラムは、対立関係にありますが、同じ神、YHWHの民であるはずなのに、キリスト教を含め対立するのは、名前に、由来するのが、大きな原因と考えます。エル(得る)とム(無)は、全く逆であり、イスラが本当の意味で何を意味するかは、わかりませんが、ですが、イスラムの神を現す言葉、イーシュワラーを、イー主和ラーと考えれば、世界の神々が、又、人々が、和となる事を望むと考えられば、いずれは、そうなると、期待しますが、やっかいなのは、神々を排除した人間の世界のワンワールドを考える、闇の集団組織の存在で、権力や、世界支配を目論む組織集団の存在であり、ひふみ神示よれば、それらも、御役の御用で、人々が、覚醒め、霊的に成長する為の学習過程として存在しているらしく、みぞおちに留めて勝ちとされていて、排除すべきではない事を述べている。
話は、変わるが、イスラムの神は、アラーとも呼ばれますが、アの太陽神(ラー)とも考えられますが、もともと、アラブは、おとぎの国であり、「あら、不思議」のアラの意味や、その時がくれば荒ぶる神で、それ故、その民は、アラブと呼ばれ、時間がくれば、大きい音を出し、目を醒まさせる、アラームの語源にもなったと考えます。9,11、や、自爆テロで世界を脅かすイスラムは、目覚める時節が、到来していることを、私達に告げているのかも、知れません。
それは、物質文明の終焉であり、神々復古の幕開けの予兆であると思われ、便利さや、飽食、使い捨て文明を反省する時であり、感謝の心を失い、仕事を仕事とせず、金儲けの仕事として、金に仕え、神、仏を忘れた、日本社会が、最も先端に立ち、改心を迫れれて行く時代へと進みゆく事を余儀なくされる時代が、間もなく、始まろうとしていると、2019年無礼苦の、令和元年=礼和願年
の年が、ノストラダムスの大予言の恐怖の大王の成人の年に一致し、その数字が、物語っているように感じるのは、私だけでありましょうか?
現在、私は、ひふみ神示の写しを別サイトで行っておりますが、最近まで、音楽に関する作業は、行えない状況にありましたが、上巻の上つ巻、が終了し、次の下つ巻に入り、仕事も、休むこと無く、人の、5倍10倍せよ!と言う言葉により、音楽も、再開しようと考えておりますが、慾(欲)はだすなよ!と言う言葉に、実際、戸惑っています。確かに、現在、私は、障害年金と生活保護で暮らせており、皆様納税者のお陰だと、感謝しておりますが、ほとんど一人で、全てを、運営しておりますが、実質金には成っておりません。世間との交流も、ほとんど、インターネット上のみで、困った時頼れるよな相手もおらず、知人も少ないですから、今後の世界で、福祉制度が、危ぶまれるときを想像すると、自立できる、収入源の確保は、したく思いますが、欲を出さずに金を得る事は、非常に難しい課題だと感じております。歌も、鼻炎の為。上手く歌えませんし、掃除ひとつ満足に出来ない私にとり、本当は、そうした、生活から改めて行くべきなのかも知れませんが、イエス・キリスト様がおっしゃったように、明日は明日自身が思い煩うであろうと、気軽に考えた方が、良いのかも知れませんが、とにかく、危機敵状況下の日本ではありますが、明るく、頑張って、勤めを果たそうと考えております。
私事を長々と話してしまいましたが、今日はこの辺で置きたいと思います。ただ、構想も煮詰まり、書くべきことも、少なくなったこともあり、更新が何時になるかわからないことを、お許しください。
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全ての始まりは、無からであるが、無限と言う時は過去にも無限であり、それ以前があったと考えられる。それでは、それ以前を考察しよう。
それ以前にも神がいた。何故かと言うと、神とは根源の事であもあるからだ!
その神の名はスミキリの神であった。
スミキリとは、澄み切りであり、又、済みきりでも、あった訳です。全てが、終わり切った神が居り、それは、あらゆる万物が満足し、ひとつの神へと、返った状態であり、それは、永い永い休息を得る神でした。そのスミキリの神へ万物が返る時というのは、全く無限の先としか言い様のない果ての果てですが、この宇宙に限っての、スミキリの神が、この宇宙の初めに存在し、言霊的には、スから始まります。それは、無以前の神ですから、虚数の宇宙や、実数の宇宙以前に、無を生みます。まず、休みが済むところから始まります。つまり、スムであり、スはSUであり、Uつまり、有(う)を持って居られ、SI(シ)に通じるSとUによって構成される神です。その後にムを生み無のMUからU(有)を生みます。しかし、スは、SUであり、曲りくねる子音の後に有(U)が付く存在であり、Sは、龍を型どっています。そして、有でもあるのです。
初めにスミキリの神は、休息をとって無になりますが、無はMUであり、U(有)
を含む存在であり、スミキリの神が目覚めます。
スミキリの神が覚醒めた時、そこは、素であり虚しく、虚の世界でした。
そして、そこが、済み家で、住居(じゅうきょ)であるため、10虚でした。つまり、この世界は、虚数であり、虚しい吸う(数)=SU、でしたので、満足せん(満足線)でした。しかし、ミである身があった為、身体(からだ)があり、身体の内に世界を持って居られました。それが、虚数の世界でした。
スミキリの神の為、SUMIKIRIで、吸う身切り、吸うだけの身しか持ちません。しかし、見切る事と身斬る事が出来ました。そして、見切って自身のミが、御(ミ)であり、御(おん)である事がわかり、音(おん)で身を満たし、無になる前の、全ロ(ぜロ)つまり、全てが終わる0(ゼロ)になれば、0(レイ)である。実数の始まりになる事を見切りました。そして、済み家だった住居(10虚)を家(言え)に改め、言霊に名を名乗らせ全てを蘇らせ、言葉の名、名で満たして、七充(ななじゅう)の言霊に、御恩(5音)を言わせ七十五音と成った時、0(レイ=霊)へと変わりました。
この点に戸を設け、ゼロの反対である、始まりの0(レイ)を天子とし、実数の世界を創り、治めさせようと考えられました。
しかし、そこは、虚数と実数の境の点ではありましたが、実数の世界は、まだ何もなく、無すらあません。ただ、天子の0(霊)であるSUMIKIRI(澄み切り)だけがあり、SUからUMでMU(無)を生み(UMI)ましたが、まだ無だったので、意味がなく、ハァーと、ため息と共に、息(域)を吐かれました。実数の世界だったので、息を吐くことが出来たからです。
余談では、ありますが、婦人、奥様をマダム(まだ無)と呼ぶのは、不人又は、不神であり、全てが、奥にいる様からだと考えます。
さて、これが、最初の呼吸であり、個九(こきゅう)でありました。しかし、ため息のためは、為になりました。9つの子が、できたのです、つまり、ハァーと言うアがついた、子音、かさたなはまやらわ。です。そして、ハァーから始まったのでハ音が音名(おんめい)の最初になりました。又、アが最初の言霊になりました。そして、喜んだ霊(神ですが、可身でも、噛みの意味もなく、上(かみ)としての神でした。創造と言う意味では、言霊を創る神でした。元々は、済みきり、の神でしたので、思い出す事により、全ての方法を思い出す事が出来ます。)そこで、SUで吸い、ハキを込めてハーから、円を描くAUM(オーム)を発し、最後に、気合を入れ、えいや!と掛け声を掛けましたが、オームのムは、発音されいません。それは、Mは、神が口を閉じた状態であり、又、一瞬だったからです。SUのU(う)で始まり、はー、の、「あ」が出来、「おう」が出来、「えい」の「あおうえい」の、5父音ができたのですが、や、により、虚空の世界と、実数の宇宙が、0(レイ)と0「ゼロ」の裏表のある点で交わった無限を意味する8の宇宙が出来ました。
そして、ハが2つで出来た世界が出来てホッとされ、ハが2つのハニホをエ(得)
十色の世界へと願いを込め、「ハニホヘトイロ」(葉に穂へ十色)と音の世界を楽しむ音楽を創ったのである。
ゼロ及びレイは、何もないと普通は考えますが、存在にないは、ないのであり、又、0は、点であり、無とも違います。点が、認識される為には、形を伴い、線を閉じる事により、認識が可能となります。あるいは、面が分岐する場合などの時、その分岐点として認識が可能となります。
量は、もちませんが、そこには、認識できる点として線が閉じて初めて点であり、認識される線も、認識出来る点の集合により、認識されるのです。2次元と言う面が先に存在していれば、実質上、分岐点という、量も形もない点や線も生じさせる事は、出来ますが、順序に従うなら、0次元と言う点は、世界として閉じなければ、無との区別がなく、認識が伴う存在する存在としての違いを表現出来ません。その為、認識出来る線も生じません。あるいは、最初に、存在する存在として生じたのは、面が先で、その中に線や点と言う存在が具現したとも考えられますが、順序的に言って、それはないと考えます。
ただ、虚数は2乗しても0に達しない世界であり、実数を表とすると裏の世界と解釈できます。言わばスミキリの神の住居の為、実際は覗く事も関わる事も出来ません。
ただ、最初にあった点からスミキリの神が生じこの神が、言霊の全てを包含したと
http://mujaki666.seesaa.net/article/167743202.html
『の中の
須藤アキオ氏の「王仁三郎の霊界物語は科学でこう解ける」にバトンタッチする。
に、続けて書かれています。ここには、虚数の世界で、スミキリの神が、75音完成させた後には、数学的に0となるとされている。』
つまり、子である0(霊)とスミキリの全ロ(ゼロ)=0になるのです。しかし、
そこで、この天子である点に戸(10+ 2ト=テンにト)を作り、これが、12徒や、7音階12音の10番目の音(お戸)ラ(天であるソラ)の上の、シ音を含むラ音の上の2音の原型になりました。これが、表(おもて)の世界でありますが、聖書によると、第一日目に光と闇を区別され、光を昼、闇を夜と名付けたとあり、第2日、大空が、上と下の水の間に間にあり、この大空を天と名付けたとあります。
この事から、天国は、霊の世界であっても、神の世界ではなく、その上の水に本当の神の国があり、音楽では、嬰イ音とロ音であり、6音階10音のロ音=ラではなく、嬰イ音とロ音のシの音(シオン)であり、これは、もしかしたら、虚空の世界にあたるのかも知れません。
なお、上記リンク記事で、日月神示には、昔の世の元は、
ム、ウ、ウ、う、にアエオイウ。と出来たとありますが、アエオイウは、アをエ(得)オイ(老い)ウ(有)で、ウ(有)が遅れて、老いのある世界だったのかも知れません。いずれに、しても、前の世の話で、現在の世についても知らない我々には、想像もおよびませんので、今日は、このくらいに、しておきたいと思います。
イロハニホヘトであるイ短調をドレミファソラシドで呼んだ場合、ソは、ホ音に当たる。そして、ハ長調のソは、ト音でGに当たり、GODの意味を持つと考えられるのだが、ソが、ホ音にあたるドレミファソアシドで呼んだ単調が、短ソ(炭素)を表し、ハ長調のソがGODを表す事から、ハ長調の調号Cのソが短ソ=炭素の意味とホである穂の意味を備え、GODに関係するG=ト音にあたる事を指摘したかったのであるが、説明をご理解出来るであろうか。
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又。神は、噛むの噛み「かみ」の意味もあり、加える身の意味もあり、人間を表す身、六が4つである事が秘められていて、ROKU(ろく)のR(有る)の間に4つ(YOTTU)の頭文字、Yとシ音の上の第8音階の八(はちは、や=YA、と読む)を意味する。Yを入れMIRYOKU(みりょく)となられ、魅力であり、神の御力(みりょく)すなわち、御(ミ)力(ちから)を表されるのである。
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ところで、ここで、仏教に関する話とアーメンの由来を話ししたいと思います。日本においては、南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経が、特に有名ですが、私は、昔、友達に、6字では、人を救えず、7字でないと救えないため、南無妙法蓮華経と言う7字でないと救えないのだと聞いた事があります。又、逆にそれを広めた、日蓮大聖人でさえ仏に成れなかったと聞いた事があります。ところで、私は、昔、ドライブ中にラジオで南無妙法蓮華経の意味を聞いた事が、あったのですが、忘れていましたので、創価学会の知人の多くに聞いて見た事がありますが、誰も、知りませんでした。
南無と言う言葉は、ヨガに伝承される聖なる音、AUMに由来することを、藤本憲幸さんの本で知った事があります。AUMと言う音は、その波長が円を描く事から、聖なる音とされているのですが、その、AUMの前にNを付けたものが南無であり、逆に後ろにENを付けたものが、アーメンであると言うことでした。
ところで、南無と言う字をあてがった事には、理由があってと思いますが、とにかく聖なる音であると理解して頂き、続く妙法は、絶妙なる法を意味すると思います。ただし、この法というのは、ある本でダルマと読める事を知りましたが、法律等の法ではないと存じます。どちらかと言うと法則の様に、仕組みを動かすシステムの様なものではないのかと言うのが、今の私の理解です。
次の蓮華経ですが、この事をラジオで聞いたと思うのですが、沼地の中からレンコンが華(はな)を咲かせますが、その情景が、様々な色の華(はな)がそれぞれ個性を主張しているにも関わらず、争うどころか、お互いを引き立て合って、素晴らしい情景を描いている。その情景をうたったお経である。と言う意味であると、私は、理解しました。
そして、何故、日蓮大聖人が、仏に成れなかったと言うと、その教えは仏の道では無く、神の道であり、私は、神人と成られたと推測します。
それでは何故6字が、駄目で、7字でないと人を救えないのかと、考察しますと、字は、時に通じ、6時は、己(み)であり、ヘビです。つまり、人間です。これに対し7時は、馬(うま)です。うま、は、有間(うま)であり、有る間を表し、生きている事を意味します。これに対し、仏は、人がムである、無である事を意味します。人が六(む)を意味し、物事の始まりは無ですが、無は、「ない」を意味せず、何かがない状態を表しており、つまり、その何かの本質が、無に溶け入っている状態を表しているに過ぎないのです。つまり、無は、存在の源であり、ソースなのです。そして、物理的時間ではなく、時と言うのは、一方的に進むのみであり、戻りませんが、時は、未来に向かっても、過去に向かっても無限であり、つまり、無以前に、全てが、完成した時が有ったと考えますが、最終的に、万物が満足し、済みきった時が訪れ、その時のスミキリと言う神が、永い永い眠りについて、一つの終わりを得た。と考えるのが、現在の私ん考えですが、最後に、言い忘れていた、6音階10音では、駄目で、7音階12音が良い話をして、第一幕を終わりたいと思います。
6と言う数が、まず、人間を現す数字で、その欲望が満ちた世を聖書では、666と言う数字で示しておりますが、6が、3つなのは、3つが満つ、すなわち満ちる数(かず)である事を示しており、それゆえ、666なのですが、なぜ、6が、人間の数(かず)かは、第6番目の音ファであり、へ音であるためでありますが、6には、又、別の意味が含まれております。6は、禄とも書け、この禄の意味は、
俸禄米などの禄の意味があり、この禄には給料や、お金の意味もあるが、かすけものといって、偽物の意味もあった。例えば、お金は、紙や数字であり、小銭は、金属で出来ているが、食べ物そのものでもなく、着るものでも、家でも車でもない代用品であり、私が調べた辞書には、偽物の意味があると載ってい
ました。又、干支の六番目は、巳(ミー)ヘビである事は、述べましたが、10音は、(獣音)にも通じ、一ゼロ、の並びは、ひとつの「ひ」と「まる」で日の丸を表し、日本に、とっては、良い数字でもあるのですが、日の丸を強調すると、争いが、終始せず、12である、ひー、ふぅー、みーの、ひふ、つまり、獣でない皮膚に覆われている事を強調した方が、平和的な終始を促(いなが)せる事、又、7音階の(ひちおんかい)は、日智恩階(ひちおんかい)つまり、日の智(ちえのち)の恩の世界を示すと、なかばこじつけですが、置き換えられます。又、7(しち)は、シ地であり、ハ長調のシの地を表すシオンであり、シオン(シ音)は、ユダヤ人にとり神の住む丘であった。質はシツでもあり、性質と言う言葉からも分かるように、そのものの意味でもあるが、六は、ろく、であり、苦が伴う。
6角形は、2次元で安定的形でありますが、遊びがなく、型にはまり過ぎるため、たとえば、10音6音階ですと、全全半全全半、全全半全全半と同じ繰り返しで、しかも、全全半と言う単純な繰り返しになるのです。12音を7,音階にすることで、色とりどりで、7音階を模型にした地と御恩の5音の世界に分けるという面白みも生じる世界を、音楽や、様々な、世界へ、発見する喜びを与える事も出来たのです。
(音楽に隠された秘密)パート2を終了したいと思います。
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